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100周年「わたしと桂馬」フォトメッセージ




わたしと桂馬  大林宣彦様



創業100年、お目出度うございます。
尾道と言えば、桂馬。
古里の味を未来に伝える桂馬物語の愛しさや……

P.S 文化とは温故知新。昔の味を守り、残し、伝えつつ、未来に向う懐しさを探求し続けて下さい。伝統とは創造なり……


「ケイマのカマボコ、オイシイガ、ドウシテコンナニ、ヨワイノカ、……。」 僕が子どもだった頃、よく周りの大人たちが唄っていた歌である。この歌が始まると、嬉しくなって僕も一緒に大声で唄った。 大人たちは二人揃うと将棋という、面白そうだが勝敗のよく判らぬ、大小様ざまな駒を取ったり取られたりして遊び、その中でも何やらヒトコマ飛んで斜めにだけ動く、 妙に軽薄な感じの駒がいて、そいつを人差指と中指で摘み上げ、盤の上でひらひらさせ始めると、 自然に「ケイマのカマボコ」の歌となるのであった。「桂馬」の駒と「桂馬の蒲鉾」を引っ掛けての、誰が唄い始めたかの戯歌であろう。
 断って置くが、将棋の駒の桂馬は小才は利くが、指先からぽろりと雫れるような脆さは子ども心に感じるが、 桂馬の蒲鉾の方はこれは断然旨く、食卓の上では鯛や平目や、時には松茸の鋤焼を尻目に、 揺るぎ無き王であった。旨さにおいては正しくそうであるのだが、置かれているのはむしろ沢庵のように、 卓上にあって当り前の無造ささで、当時は最年長のお髭のお爺ちゃんからお婆ちゃん、父さん母さんに兄ちゃん姉ちゃん、小さい弟や妹や、 時には親戚のおじさんたちやお客様まで、皆がちゃんと食卓に就くのを待った上で、 給仕のお手伝いさんがお櫃の横に姿を整えた所からでないと食事に手など出してはならない。 しかしこの桂馬の蒲鉾にだけはマシラの如く(お猿さんですね)駈けて来て、 人差し指と中指で素早く挟み取って、斜めに口に運んでパクリ! その時忘れず「ケイマノカマボコ、オイシイガ、……」、  と件の歌を唄って置けば、お手伝いのお姉さんも笑って「これ!」、 とお尻を打って見逃してくれた。 一度など、黄昏時の茶の間にまだ誰も居ず、お手伝いのお姉さんがひとり、夕餉の支度をしながら、 僕がこっそり覗いているのにも気づかぬ風に、細い、少し皸のした人差し指と中指とで、 柿の実を象った桂馬自慢の蒲鉾の一片を素早く持ち上げ、「ケイマのカマボコ、オイシイガ、……」、と小声で唄ってぽんと口に放り込み、 一口では噛み切れないのを慌て一切に飲み込んで、目を白黒させながらそれでも「ドウシテソンナニ、ヨワイノカ」、とちゃんと唄い了え、 苦しかったのかぽろりと大粒の涙を一粒零して、ふと遠くを見上げた。そこに漏れ入る夕陽が一条、お姉さんの瞳の涙をキラリと光らせた。 あれは、お姉さんの、田舎の里の夕陽だったのだろうか?
 お姉さんはやがてお嫁にゆき、僕はもうその名も忘れた。けれどもいまも古里の尾道から送られてくる、 昔と同じあの柿の実の桂馬の蒲鉾を摘まみ上げると、そっとあの歌を唄ってみるのである。昔変わらぬ味わいは有り難い。大切な思い出が汚されないからである。

PS 100年もの永い間、古里を守ってくれた桂馬の味に、拍手を送ります!
  お目出度うございます。そして、有難う!






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