わたしと桂馬(将棋の駒)の絆はここからその第一幕が始まる。
ときは昭和20年の盛夏、ところは瀬戸内海の特攻基地、分隊長より大声が飛んだ松井貴様将棋が指せるか、
普通なら将棋をやるか、するかだろう、指すと言うからには強い人だと思つたがはい大好きであります、と言つてしまつた、
ようしここえこい、すぐに大一番が始まつた結果止めの桂馬打ちで私が勝つた、もう一番こいと言われたらどうしようと生きた心地がしなかった。
だが分隊長はすこぶる上機嫌で、酒・タバコ・羊かんを下さった。
それから四日後、分隊長は出撃沖縄の海に散った、まるで映画のワンシーンを見ているようだ。今でも愛好家の一人として将棋をたのしんでおりますが
打ち駒で桂馬を手にしたとき過ぎし運命のあの日を想い浮かべ胸が締めつけられる自分であります。
さて第二幕ですが、ときわ流れ昭和の終わり私の良き友であり部下のM氏が他界いたしました。彼の墓が尾道市天寧寺にあります。
墓参に訪れたときにお土産として頂いたのが桂馬蒲鉾商店さんのお品でございます。
これぞ瀬戸内の美味とおいしくいただきました。将棋界とのお交際もありプロ棋士の先生方にもお届けしていますが
大変よろこばれております。旬毎に送られてきます通信案内拝読しておりますが、お客様第一にその気配り
経営指針が今日のご繁栄にあるものと存じます。
特に感じますのは店員の方々の接客ぶりで、テキパキと明るく笑顔で応対される姿は商品の評価もさることながらお店のイメージアップです。
私が現役の頃経営の神様、松下幸之助氏をお迎えした時、支配人「商いわ人、企業わ人材でおます」と声をかけていただきました。
大企業の進出でスーパーが多くなり、商いのなかから人の手が薄れていく昨今
足音を響かせ老舗の味、本物の商店を守っていかれる桂馬蒲鉾商店に大きな拍手を送ります。更なる弥栄を。
松井保 86才
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